教育、学び、そして学校 〜 注31

公開: 2024年3月5日

更新: 2024年7月24日

注31. 無条件降伏

第2次世界大戦の最終局面で、1945年7月、ドイツのポツダムに集まった米国、英国、ソ連の首脳たちは、日本に対して、和平を締結する条件について議論しました。その結果、最終的に公表された宣言が、「ポツダム宣言」と呼ばれているものです。それは、日本に対して、「条件なしに降伏することを受け入れなければならない」ことを主張したものでした。その時点で、日本政府の中では、「国体維持」を条件として、敗戦を受け入れる案が検討されていました。連合軍側の主張は、そのような条件を付けずに、敗戦を受け入れるよう促していました。

「国体の維持」とは、大日本帝国憲法に謳われている「天皇による統治」を維持することを保証することを条件とすることが前提とされていました。そのため、最初、日本政府は、「ポツダム宣言は、受け入れられない。」としていました。しかし、8月に入って、2発の原子爆弾が投下され、ソ連軍が対日戦争に参加したことを知り、ポツダム宣言の前提に基づいて、「国体維持」が含まれているかどうかによって、それを受け入れられるかどうかは異なると、政府内での議論になりました。昭和天皇は、議論の最終局面で、「国体維持」が前提となっているかどうかに拘わらず、「ポツダム宣言を受け入れるべきである」と決断しました。

戦後に公布された日本国憲法では、「国民統合の象徴としての天皇の存続」は認めるものの、「国家の主権は国民にある」とされました。実質的に「国体の維持」は、占領軍によると、認められなかったことになります。自由民主党の一部の議員が、今日でも、「現在の日本国憲法は、占領軍が制定したものであり、真の意味で、日本国民が制定したものではない。」と主張し続けている根拠が、ここにあります。

参考になる資料